さて、前回はこけし工人のルーツ・木地師とは何者だ?というお話をしましたが、今度はこけしの模様はなぜ赤いのかを紐解いていこうと思います。
そこには、東北地方から離れているはずの箱根やお伊勢さん、金毘羅さんが深~く関わってくるのです。
箱根もお伊勢さんも金毘羅さんも行ってみたいなぁ…
注意
ここに書いてあるものはあくまで素人の独自研究に基づいた文章です。
専門性よりわかりやすさを重視した文章なので、ご注意ください。
また、こけしや木地師の成り立ちには諸説ありますので、ご了承ください。
詳しく知りたい方は、専門書やKokeshi Wikiを参照してください。
江戸時代
時は江戸中期、文政から天保にかけて、日本各地からお伊勢参りや金毘羅参りが盛んにおこなわれるようになりました。
こけしの産地の人間も例外ではありません。
ちなみに、遠刈田や土湯では金毘羅碑が建てられています。
そこで、通過点の箱根や小田原のような街道沿いでは様々なお土産が売られていました。
なんか、今と変わらないな
ここで売られていた玩具は赤物と呼ばれ、白い木材に赤を中心とした色が塗られたものです。
当時感染症・疱瘡が流行していて、疱瘡には赤い色のものが効くという中国のお呪いを信じ、厄除けとして様々なものに使われていました。
そういえば某感染症が流行りだしたとき、工人さんたちはアマビエ人形を作っていたっけなぁ。
それと同じようなものか、時代は繰り返すんだな
そういえば僕たち赤べこが赤色なのは、病気よけのお呪いだったかららしいな。
箱根の木地細工制作技法は東北地方に伝わり、優れた郷土玩具が生み出されてきたとされています。
江戸時代の染料
現在ではこけしの染料は墨や食紅、化学染料などが中心ですが、そもそも、江戸時代はどうやって絵付けをしていたのでしょうか。
近年、東北地方の土人形の染料に一般的に使用されていたスオウやキハダなどを煮詰めてこけしの木地に彩色するという実験が行われました。
実験の結果見事、赤、緑、黄色を着色することができたのです。
これにより、江戸時代でも化学染料なしでこけしに着色できるということが判明したのです。
まとめ
お伊勢さんや金毘羅さんのお参りの途中に赤物を見て技術が伝わり、こけしを作る基盤が出来上がったとされています。
この後は、こけしが生まれるきっかけと言われている、赤物の影響を受けた郷土玩具のお話をすれば、こけしに対する理解が深まると思います。
余談だが、どういう訳か私は某新型感染症にかからなかったんだよなあ。
まさか赤物を集めているおかげ…?
はいはい偶然偶然。
参考文献・サイト
伝統こけし最新工人録/カメイ美術館/2018年8月31日
こけし図譜/佐々木一澄著/誠文堂新光社/2020年1月18日
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