こけしはもともと温泉土産として売られ、子供に可愛がられてきた優しいお人形さんです。
また、現在では熱心な蒐集家やこけ女と呼ばれるこけし愛好家も存在します。
こけしは美しさや伝統性が認められ、宮城県で作られたこけしは国の伝統工芸品に指定されています。
しかし、なぜこのような美しいお人形さんが間引き供養の人形だという悪質なデマが広まってしまったのか、文献を参考に考えていきたいと思います。
正直、こんな馬鹿げた記事は書きたくないけれど、私はこけしの味方だ。
こけし=子消しと誤解している人たちに正しい知識を広めたい。
子供の頃「こけし=子消し」を本気で信じて怖がっていたお前には言われたくないな。
そ…それは黒歴史なんだぜ…
注意
こけしの由来は諸説あります。これはあくまで文献を参考にしたうえで、私個人の考えを記したものです。
「こけし=子消し」説は悪質なデマですが、ここにまとめられたもの以外にもこけし発生の説はありますので、ご了承ください。
こけし=子消し説のはじまり
時は昭和40年代後半ごろ、マスコミが面白おかしく「東北地方では貧困や飢饉などで、口減らしのために子供たちを間引き、その供養のためにこけしが作られた」とデマを流すようになりました。
それが広まってしまって、現在に至ります。
今も昔もマスゴミっているんだなぁ。
こけし=子消し説は悪質なデマという根拠
こけしの方言
こけしは元々、地域によって呼び名はバラバラでした。
例えば鳴子温泉では「こげす」、山形県では「でく」、仙台では「きぼこ」などが挙げられます。
つまり、地域によって呼び方の差があるということは、「子消し」という字面はただの語呂合わせであることがわかりますね。
しかし、これでは混乱の種になりうると、1940(昭和15)年、鳴子温泉で会合が開かれ、「こけし」という名前に統一された経緯があります。
「こけし」という言葉のの語源は諸説ありますが、「木」を「こ」と読むことや、仙台の郷土玩具、「堤人形」の小さいバージョンのことを「けし人形」と呼ぶことから付けられたという説が有力です。
飢饉や貧困は全国的にあった
そもそも日本史の教科書でも有名な、享保や天明の飢饉は、全国的な規模の飢饉でした。
それを東北地方だけが被害を被ったというのは妙な話です。
戊辰戦争以降、「白河以北山百文」という東北地方の山は100文しか価値がないといった、東北地方を蔑視する動きがあり、東北地方=貧しいというイメージがついてしまいました。
残念なことに、現在でもその流れが続いているように私は思います。
こけし=子消しが広まってしまった背景
こけし関係者の対応の粗末さ
当然、こけし関係者はこけし=子消し説に激怒していいはずでした。
しかし、当時のこけし界の人物たちは「そんなデマは放っておけ」というスタンスだったので、積極的な抗議活動はしませんでした。
なんか、東北人の悪いところが出てきちゃったな。
ネットの普及
ネットの情報量はたくさんありますが、中にはガセネタや、記事の一部分が誇張されて検索結果に表示されたりと、情報を誤解する原因にもなるものも見受けられます。
こけしも例外ではありません。
実際にGoogleで「こけし 子消し」と検索してみたところ、検索結果上位にざっくりとこう書いてありました。
モザイク部分には…
実は、こけしは「子消し」が語源と聞いて驚いた。「こけしは昔、貧しい家庭で子供が死んだとき、その子供を供養するための身代わり。ゆえに、こけしは“子消し”」という説がある。
※文章そのまま載せるのは著作権的にまずいので、文章を要約してみました。
そのサイトを怒り心頭で覗いてみると、こけし=子消しはガセであることはフォローされていましたが、Google検索上位にこのような誤解を招く文が表示されることに驚きあきれました。
Googleさん!!ガセに踊らされてますよ!!
某IT実業家が言ってたな。
「嘘を嘘と見抜けない人がネットを使うのは難しい」と。
天下のGoogleさんが嘘に踊らされるなんてなあ…
まとめ
東北地方について、「暗い、寒い、貧しい…」そんなイメージを少なからず持っている人も少なからずいらっしゃると思います。
実際寒いし、日照時間短いし、最低賃金安いし…
だからといって、東北地方の誇れる文化に対して中傷すること、そんなガセを鵜呑みにすることは間違っています。
こけしは東北地方の誇れる文化であり、素晴らしい伝統工芸品であり、子供に寄り添う心優しいお人形さんなのです。
私は、一人でも多くの方にこけしの正しい情報を知ってもらって、一人でも多くの方にこけしを愛してほしいなぁと思っています。
参考文献
伝統こけし最新工人録 第3版/カメイ美術館/2018年8月31日
「こけし」の真実 「こけし→子消し」は真っ赤な嘘/平井敏雄著/金港堂/2008年9月17日
癒しの微笑み 東北こけしの話/高橋五郎著/河北新報出版センター/2014年9月3日
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